
どーも。
夏真っ盛りですが、今回はちょっと時間を遡りまして、3月に行ってきた黒木知宏引退セレモニーのレポートをいたします。 ちょっと、暑苦しい季節に暑苦しいレポートですが、そんなの知ったこっちゃないです。 なぜなら、僕は、黒木知宏の大ファンだから。
<真剣勝負> 天才・イチローをして、その対戦を
「男と男の勝負」
と言わしめた、希代の名投手。 「魂のエース」と呼ばれ、ファンからは“ジョニー”の愛称で親しまれていた。 その男の名は、黒木知宏。
春の陽射しが暖かい3月15日。 その姿を見逃したら一生後悔すると思い、俺は、ありとあらゆる手段を使って、東京湾の潮風が心地良く舞う千葉マリンスタジアムに足を運んだ。最後となるであろう、千葉ロッテマリーンズの背番号「54」のユニホーム姿。 オープン戦であるにも関わらず、チケットは売り切れ。満員に膨れ上がったスタジアムは、最後のピッチングに相応しい舞台だった。
東北楽天とのオープン戦終了後に開催された引退セレモニー。すでに自由契約の身であるため、黒木知宏「選手」ではなく「氏」としての登場だ。 その表情は、チームの勝利を、ファンの声援を一身に背負ったエースにのみ許された緊張感に溢れている。かつて、イチローと対峙し、松坂と投げ合った時と、少しも変わらない。シドニーオリンピックでは、必ず左胸にあしらわれた日の丸に触れてから投じる黒木の姿に、日本国民だけでなく、世界中の人々がそこに「侍」を見た事だろう。もはや野球というスポーツの枠を超え、一つの「存在」として、人間が達しうる最高の純粋さと美しさを宿していたことを記憶している。
その最後の一球一球を瞬きもせず、瞼に焼き付ける。 最初の対戦相手となる盟友サブローを仕留めるストレートを放ったその瞬間、魂の発露、あの雄叫びが、黒木の叫びが、その全てを見届けようと異様なまでに静まり返った千葉マリンに響いた。 これだ。俺は、これに触れたかったんだ―以後、溢れる涙を止めることはできなかった。
続く相手は、黒木の親友にして、東北楽天イーグルスのキャプテン・礒部。 レフトスタンドから思い出したかのように流れ始めた礒部の応援歌に対抗し、それをかき消すかのように、球場全体からジョニーコールが鳴り響く―。 およそ引退セレモニーとはほど遠い熱気に包まれた球場の中で、遠慮も手抜きもなく礒部は立ち向かう―結果は、サードゴロ。礒部なりの、思わずニヤっとする餞である。
そして、黒木が最後の対戦相手に指名したのは、長くチームメイトとして共に闘ってきた、福浦であった。 2ストライクに追い込まれてから、ファールで粘る福浦。息を呑むとは、まさにこのこと。バットに当たったボールがファールになる度に、球場全体から安堵とも、落胆とも取れぬ大きなため息とざわめきが漏れる。 そして、勝負を決したのは、やはり、ストレート。 その右腕に乗り移った魂の煌めきは、雄叫びと共に繰り出される150km/hのストレートの如く。キャッチャーミットに響いた甲高い音と共に、深く心に刻まれたその瞬間、ただ、天を仰ぐのみ。 球速を超え、技術を凌駕したその一球に対し、パ・リーグの首位打者にも輝いたことのある技巧派バッター・福浦のバットは空を切る。
黒木知宏、引退―。
マウンド上では、何度も何度も「ありがとうございました!」という言葉が発せられた。 それは決して偽りのない気持ち。その顔は実に清々しい。もう、黒木は次へ向かって走り出している。
<真実> 76勝68敗
パ・リーグのみならず、日本プロ野球界を代表する「エース」として君臨した男が13年間で築き上げた記録にしては、余りにも淋しく、物足りない数字であろう。しかし、その数字一つひとつに、この男ほどドラマが詰まっていた男はいない。今にして思えば、この男を彩る名勝負を支えた一球一球が黒木の投手生命を削っていたのだ。だとすれば、その魂の燃焼は余りにも皮肉だった。その魂の迸りに、悲鳴をあげたのはキャッチャーミットではなく、その右肩だったということだ。しかし、悔いはないのだろう。
俺は、カネやんも、稲尾も見た事はない。 でもいつの日か、自分の子供たちに
「私は、千葉マリンのマウンドに立つ黒木知宏を、この目で見たことがあるんだよ」
そう自慢するんだ。 きっと子供たちは、何の話をしているのか分からず、ぽかんと口をあけているのだろう。
黒木知宏、誰よりもマリンのマウンドを愛し、「魂のエース」と呼ばれた男。それは、事実。
黒木知宏、プロ野球史上、最も魂を焦がしたピッチャー。それは、俺だけの真実。
ROCK。 テーマ:千葉ロッテマリーンズ - ジャンル:スポーツ
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